ミニマルなやつはだいたい友達
ファッションとしてのミニマルは大好きなんだけどなぁ。
ミニマルの女王(Queen Of Minimal)と言われるジル・サンダーのシャツとか大好物だ。ヨダレでる。
結局言葉だけがひとり歩きしてるんだよなぁ。
洋服としてのミニマルって、例えばシャツ(ブラウス)だと、できるだけステッチが表に出ない仕様になっていたり、見えてるステッチも、ものすごく細い番手の糸と細かい運針数で縫われていたり、ボタンが比翼仕様で外に出ていなかったりして、本来だとデザイン的に拘れる部分を排除することだと思うんだけど、そこで逆に重要になるのって、シルエットだったり素材だったりするのよね。
洋服のデザインて、素材だったり、シルエットだったり、色だったり、ディテールのテクニックだったり、洗い感だったり、いろいろな要素で決まるんだけど、他の要素を排除することによって、シルエットや素材感へフォーカスさせて、高級感だったり洗練された雰囲気を表現しようっていうのが洋服におけるミニマルで、それって要するに洋服の本質への「アプローチ」なんだよね。
その先には哲学があって、一番伝えたい哲学のための手法としてのミニマル。
ジル・サンダーさんとは二年くらい共に仕事をさせて頂いたたけど、今きゃりーぱみゅぱみゅさんがCMで言ってる「美は細部に宿る」ということを、全く違うアプローチで行う天才だった。ディテールを用心深く排除することで美しさの均衡を保つ。それが彼女が教えてくれたミニマルでした。
こだわって盛り付けることだけが「美は細部に宿る」の解釈ではないということだ。
尊敬するプロダクトデザイナーの秋田道夫さんの言葉で
「機能を増やすには技術がいるが、機能を減らすには哲学がいる」
という言葉がある。
僕は常日頃から、デザインの足し算、引き算をする時にこの言葉を心がけている。全てを排除することだけがミニマルではない。
ミニマルは素晴らしい。大好きだ。今の時代感ともすごくマッチすると思う。
だが、ミニマルの先にある哲学こそが本当に素晴らしいということに気づかないといけない。
ミニマルを生き方とするなら、生き方もまた哲学へのアプローチであることを忘れてはいけない。己が体現したいことを、策に溺れて見失わないようにしないといけない。
用心しないといけない。
チェケラッチョしないといけない。
仕事中にブログを書いてはいけない。