No Music No Lifeに感じる違和感

「No Music , No Life」っていうとあれです某大手レコード屋さんの有名キャッチコピーですけども、キャッチコピー界でもわりと殿堂入りの名文句だとかで、まぁなんかいゆうたらノーライフノーライフつってね。ゆうとりますけども。

 

学生の頃に知り合いだった女の子が「お母さんは耳が聞こえなくて、それであのキャッチコピーを見ると悲しい気持ちになる」って言ってたけど、「だから今夜は強く抱いて」って言ってたけど、「結婚してー!」って言ったけど、まぁそういう視点もあるなーとは思うけど、僕がそれを声高に某レコード屋に「じゃぁ耳きこえん人はどうしたらいいんすか!すわっ!人権侵害!」っていうのはなんかまたそれは違うっていうか、違わないんろうけど、なんていうかちょっとそれはそれで『アラ探し』というか『屁理屈』?みたいな。はいはい、ごめんね、ごめんね。で済まされそうな。U字工事よりももっと低いテンションで言われそうな。事実おれの親族や奥さんは耳は悪くないし。

 

じゃぁなんなんですか、あなたなんの文句があるんですかって話なんですけど、どうだろう、別に文句なんてないんだけど、しいて言えば、、、、「大風呂敷感」?

大袈裟というか、大仰というか、押し付けがましいというか。

 

僕は音楽は、それぞれが、それぞれのペースで楽しめばいいと思う。

誰にも「ノーライフ」だっつって押し付ける権利なんてない。音楽やアートや詩や物語はその価値とは対照的にもっと軽く扱われるべきで、気軽に聞きたい時に、聞きたいものを聞けば良くて、それが5年に1度のサイクルでも良くて、死ぬ間際に思い出した音楽が、おならの音楽でもいいと思う。嫌だけど。

 

音楽が僕らに与えてくれるものは沢山あって、小説やアートやスポーツは、人生を豊かにしてくれる。僕は音楽を愛しているけど、「これを聞かなきゃ時代遅れ」みたいな事言う奴や、「誰でも好きな音楽ぐらいあるでしょ」っていう論調も大嫌いです。

被害妄想が拡大して、音楽きかないやつはカス人生って言われてるみたいで、僕はあのキャッチコピーが嫌いだって言うわけではないけれど、なんかあのキャッチコピーは音楽敷居を下げてるのか上げてるのかわからんっていう違和感はある。

 

それでもあのコピーができた当時は時代にマッチしてたと思うし、少なくとも音楽に対する間口は広がったのかな。でも、今の時代にはちょっとマッチしてない気がする。

ちょっともう、その大風呂敷感が滑稽というか、無茶というか。

たかが音楽。

好きな人が、好きなものにお金と時間を使えばいいと思うよ。

そろそろ、そういうコピーが生まれてもいい。